福岡高等裁判所 昭和49年(う)597号 判決 1976年1月28日
本籍
韓国 尚北道月城郡西面雲防里六二九番地
住居
福岡県北九州市若松区西天神町二番六号
金融業
坂本昇こと
伊漢龍
一九二七年五月二七日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四九年一〇月三日福岡地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月及び罰金四〇〇万円に処する。
被告人において右罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置ずる。
この裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人本多俊之提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官山中朗弘提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
同控訴趣意第一点(事実誤認)について
所論は要するに、被告人の昭和四三年度の実際の所得金額を二五八六万七七三四円と認定した原判決は誤りであつて、被告人の事業は同年度において赤字(欠損)であり、被告人には課税さるべき所得は存しない。すなわち
(一) 被告人は、かねて知人黄斗漢から金員を借受けて金融業等を行つていたものであつて、昭和四三年度中に同人に対し利息金として合計一九三六万円を支払つたものであり、(二)被告人の事業上の貸金債権のうち、(1)近藤作一に対する一五〇万円、(2)中村政美に対する四〇万円、(3)横田昭次に対する一五〇三万八〇〇〇円、(4)伊藤正之に対する一九万五〇〇〇円及び(5)山田政喜に対する六四万円は、いずれも弁済期が到来したのに右各債務者においてその支払をなすことができず、昭和四三年度中に貸倒れとなつたものである。従つて、被告人の昭和四三年度の所得は、原判示二五八六万七七三四円から右(一)の支払利息金及び(二)の(1)ないし(5)の各貸倒損失を控除して算出さるべきであり、その結果差引一一二六万五二六六円の赤字(欠損)となるから、昭和四三年度においてほ脱すべき所得はなかつたものである。原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤り右(一)及び(二)の各損金の存在を看過し、所得額に関し事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠を総合すれば原判示事実は十分に認められ、原判決が(一)黄斗漢に対する利息金支払の事実及び(二)近藤作一外四名に対する各貸倒損失の事実を全て否定したことに誤りはない。すなわち、
(一) 黄斗漢に対する利息金の支払について
所論によれば、被告人は坂本勝夫こと黄斗漢から昭和四〇年八月から同四三年六月までの間八回に亘り合計五、三〇〇万円を借受け、その利息として同人に対し昭和四三年度中に合計一、九三六万円を支払つたものであり、この事実は原審第一四回及び第一五回公判調書中の証人黄斗漢の各供述記載部分、黄斗漢名義の領収証二九枚(当庁昭和五〇年押第九号の三一ないし五九)等により明らかであるというのである。
よつてまず、原審証人黄斗漢の供述の信憑性につき、これを検討するに、同証人は、被告人に対し昭和四〇年八月頃から同四三年六月頃までの間前後八回に亘り合計五、三〇〇万円の現金を貸与し、同四四年四月韓国に永住のため帰国するまでに合計一、五〇〇万円の元金の返済を受け、且つ右帰国までの間月三分又は四分の割合で利息金の支払を受けていた旨、所論に副う供述をなしているのである。しかしこれを仔細にみると、右貸金に充てたという資金の獲得ないし入手経路、貸付利息、返還期限その他の貸与条件、借用書等書類の有無及び作成時の状況、帰国時における貸金回収のための措置及び帰国後の回収状況等の重要な点に関する供述部分は、その内容自体においてあいまいないし不合理な点が多くたやすく措信できないものである。就中、原判決挙示の竹中力夫、浅野芳雄、浅野梅太郎、日高敏行及び沈彦変の検察官に対する各供述調書、日本銀行北九州支店長作成の回答書等の関係証拠によれば、黄斗漢は昭和一〇年頃単身来日し、主として福岡県下で稼働していたものであり、同三四年頃から採石業、同三八年頃から砂利採取業等を営んでいたが、その収益はさして大きいものではなく(もちろん事業所得の申告は全くしていない。)、他人の土地上にバラツク小屋を建てて居住し、極めて質素な生活を送り、時には従業員から数千円の金員を借受けるようなこともあつたこと、同人は永住のための帰国に際しても、持出限度額として許容されていた一万ドルのうち、三分の一にも満たない三、〇〇〇ドルの現金をやつと工面しえたものであること(同人は昭和四二年及び同四三年の一時帰国時にも各五〇〇ドルの現金を持出したにすぎないこと)が認められ、昭和四〇年ないし四三年当時他人に対し多額の金員を貸付ける資力があつたものとは到底認められず、しかも、同国人とはいえ偶々頼母子講で知り合つたにすぎない被告人に対し、無担保で(すでに永住帰国が予定されたのちにおいても)巨額の現金を貸与し、その回収の具体策も定めないまま永住帰国してしまつたというものであつて、これらの諸点は所論指摘の在日韓国人の金銭感覚が必ずしも日本人とは一致しないものであることなどの事情を十分に考慮しても、到底是認しがたい不自然な事柄である。従つて、原判決が黄斗漢の証言の信憑性を否定したことは相当というべきであつて、当審における事実取調の結果とりわけ証人沈こと青松彦変の供述等によつても右認定を覆えすことはできない。
次に、黄斗漢作成名義の領収証二九枚の証明力につき検討すべきところ、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書(一八通)及び検察官に対する供述調書(六通)によれば、被告人は、査察の当初金融業の資金を他から借受けているがその貸主の名前はいえない旨供述し、途中から資金提供者の一人は黄斗漢であるがその所在は全くわからないし同人との間で借用証や領収証等を作成した事実はない旨供述するようになり、更にその後になつて本件領収証二九枚等を提示し、帰国前黄斗漢に一括して作成してもらつたもので、同人に対する利息金支払の証拠である旨供述するに至つたものであつて、右にみる如く右領収証の提出されるまでの過程が極めて不自然であること、原審証人黄斗漢は被告人に対して帰国時に多数の領収証を一括作成して交付したような事実は絶対にない旨供述していること、他面大西芳雄作成の「鑑定書」と題する書面によれば、右二九枚の領収証は特定の日時にまとめて作成されたものであることが認められること、古田恵美子の検察官に対する昭和四六年七月二日付及び同月九日付各供述調書等によれば、被告人は本件査察が開始されたのちにおいて使用する事務員古田恵美子が記帳していた貸付関係のノートを同女から回収して破棄又は隠匿し、さらに自己の主張を裏付けるために同女をして黄斗漢に対する連帯借用証書二通(当庁昭和五〇年押第九号の一及び二)を作成させるなどの工作をしたことが認められること(右古田恵美子は当審において、右検察官に対する供述調書の記載は誤りであつて検察官から威圧されたために虚偽の事実を述べたものである旨弁解するのであるが、関係証拠を調査してもそのような事実は認められず、右弁解は雇主である被告人に迎合するものと認められるので到底措信できない。)などの諸事実に徴すれば、右領収証二九枚が真正に作成されたものとは認め難く、右領収証を虚偽のものと認めた原判決の判断は相当というべきである。
なお、原審及び当審における被告人の供述はいずれも所論に副うものであるが、前示の如き関係証拠に照らすとき、たやすく措信することができないものであり、その他記録を調査しても被告人が黄斗漢から金員を借受けて昭和四三年度中にその利息金を支払つた事実を認めるに足る証拠は存しない。
してみれば、黄斗漢に対する利息金支払の事実を認めなかつた原判決の認定に誤りはなく、当審における事実取調の結果を参酌しても、所論の如き事実誤認を発見することはできない。従つてこの点に関する論旨は理由がない。
(二) 貸倒による損失について
(1)(近藤作一関係) 所論は、被告人が近藤作一に対し昭和四二年四月頃貸付けた一五〇万円につき、同人は同四三年に至り二回に亘つて預金不足を招き不渡小切手を出す状態となり、同年末現在まで被告人に対し一二〇万円ないし一三〇万円の債務を残したまま利息の過払いを理由に弁済を拒んだうえ、被告人の請求に対し逃げ回つていたものであるから、右貸金債権は昭和四三年度の貸倒れと認定すべきものであるというのである。
よつて所論にかんがみ関係証拠を検討するに、近藤作一が被告人から昭和四二年四月頃一五〇万円を借受け、その後利息及び元本の一部を支払つていたが、同四三年二月及び九月に預金不足から小切手等が不渡となつたこと、同人は同年末現在で被告人に対し一二〇万円ないし一三〇万円の債務を負つていたことは関係証拠上否定できないところであるが、しかし、原判決挙示の近藤作一の大蔵事務官に対する質問てん末書(同人作成の答書添付)及び古田恵美子の検察官に対する昭和四六年七月七日付供述調書等によれば、右近藤作一は右小切手等の不渡りについてはその都度自ら買戻していたこと、被告人からの右借受金の利息に対しては昭和四二年五月から同四三年一二月までほぼ滞りなく支払つていたものであること、被告人は昭和四四年になつてから右貸金債権確保のために近藤作一所有の土地に抵当権を設定するに至つたこと、同人は昭和四五年四月当時福岡市内に居住して不動産仲介業を営んでいたことがそれぞれ認められ、これらの事実に徴すれば、被告人の近藤作一に対する債権が昭和四三年度中に回収不能の状態に陥つたものとは認められない。
してみれば、原判決が近藤作一に対する貸金債権につき貸倒れの事実を認めなかつたことは相当であつて、記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、原判決には所論の如き誤りを発見することができない。
(2)(中村政美関係) 所論は、昭和四三年四月頃中村政美に対して貸付けた四〇万円につき、同人の経営する大興建設株式会社は間もなく倒産し、同人個人も多額の債務を負つて被告人に対し右借受金を弁済しえない状態に陥つたまま現在に至つているものであるから、右債権は昭和四三年度の貸倒れと認むべきであるというのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、古田恵美子の検察官に対する昭和四六年七月七日付供述調書、集計用紙一冊(当庁昭和五〇年押第九号の六七)及び小型ノート一冊(同押号の六九)等を総合すれば、被告人は中村政美に対して昭和四二年頃五〇万円を貸与したが、同人が期限に弁済せず借替えを繰返すうち、同四三年八月頃からはその利息も支払わないようになつたため同年末現在で五六万三〇〇〇円の貸金債権を有することとなつたものの、同人において翌四四年中にこれを完済したため、同四五年度に繰越さるべき債権は存在しなくなつたことが認められる。尤も、所論援用の原審証人中村政美の供述記載によれば、昭和四二年頃被告人から五〇万円を借受けたのは右中村の知人の秋本某であり、中村において秋本に代りこれを支払つて解決し、その後改めて大興建設株式会社のために中村が被告人から四〇万円を借受けたものであるが、右四〇万円は未払のままである旨所論に副うが如き供述をなしているのである。しかし、記録を精査しても中村政美が被告人に対し昭和四三年四月頃までに五〇万円を支払つた事実は認められず、関係証拠によれば右弁済は同四四年に至つてなされたものであることが認められ、又、大興建設株式会社は昭和四三年五月頃多額の債務を残して倒産したものであり、被告人が倒産寸前の会社のために、中村に対し無担保で金員を貸与し、倒産後においても回収のための努力を払つた形跡が認められないなど極めて不自然であつて、これらの事実に徴するとき中村政美の前記供述部分は同人が五〇万円と別個に四〇万円を借受けたとの点に関する限りたやすく措信できないものである。なお、被告人の原審及び当審における関係供述部分も信憑性に乏しく、所論指摘の事実を認めるに足りないものである。
そうしてみれば、被告人の中村政美に対する貸金債権が昭和四三年度に貸倒れとなつた事実を認めなかつた原判決の認定は相当であり、その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決には所論の如き誤りを発見することはできない。
(3)(横田昭次関係) 所論は、被告人の横田昭次に対する二〇〇〇万円を超える貸金債権につき、右横田の経営する横田工業所は昭和四三年五月頃倒産し、同年末現在で元金のみでも一五〇三万八〇〇〇円が弁済されていない状態であつて、右債権につき被告人が有する抵当権(横田昭次の母横田ヤチヨ名義の土地及び建物に対するもの)は第二順位であり、右債権の弁済には不十分であるうえ、右横田ヤチヨは利息の過払い等を理由として福岡地方裁判所小倉支部に対し債務不存在の訴を起し、返済を拒否しているものであるから、横田昭次に対する右貸金債権は昭和四三年度の貸倒れと認められるべきであるというのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、横田ヤチヨの大蔵事務官に対する質問てん末書(二通)、原審第五回及び第六回公判調書中証人横田ヤチヨの各供述記載部分、九州相互銀行戸畑支店次長作成の回答書及び日本不動産研究所福岡支社長作成の不動産鑑定評価等を総合すれば、被告人は横田昭次に対し昭和四三年末現在で一五〇三万八〇〇〇円の貸金債権を有するものであること、(但し、右債権の一部については民事上争いがあり、又、過払い利息が元本に充当されるので、その額が減少する可能性があること)横田昭次の経営する横田工業所は昭和四三年五月頃倒産したが、被告人が抵当権を設定した横田ヤチヨ名義の土地及び建物は昭和四三年二月当時で七〇〇〇万円を超える評価を有し、右物件に対する先順位の第一抵当権者の債権(元本)額は一五九〇万円であること、右物件については第一抵当権者の申立により競売手続が開始され、その第一回競売期日は昭和四五年九月四日であつたが、右時点の最低競売価格は五〇六五万円であつたことが認められる。しかして右の事実関係によれば、被告人の横田昭次に対する貸金債権が昭和四三年度において回収不能になつたものとは到底認められず、貸倒れの事実を否定した原判決の認定は相当というべきである。その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決には所論の如き誤りは見出せない。
(4)(伊藤正之関係) 所論は、被告人の伊藤正之に対し昭和四三年四月頃貸付けた一九万五〇〇〇円の債権につき、同人はこれを弁済しないまま所在不明となつてしまつたものであつて、右貸金債権は昭和四三年度の貸倒れと認むべきであるというのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、松下善寿の大蔵事務官に対する質問てん末書(同人作成の答申書添付)及び検察官に対する供述調書並びに古田恵美子の検察官に対する昭和四六年七月七日付及び同月一五日付各供述調書等を総合すれば、松下善寿は北九州市内で松下建設株式会社を経営していたものであり、昭和四一年頃より被告人から事業資金等を度々借受けていたが、同四二年九月頃若松信用金庫より取引停止処分を受け、さらに同四三年頃福岡相互銀行でも不渡手形のたゆ取引停止処分を受けたものであつて、その頃より他人振出名義の手形や小切手を差入れて金員を借受けることが多くなつていたものであるところ、伊藤正之は右松下の友人であつて、所論指摘の伊藤正之振出名義の小切手一通(昭和四三年四月三〇日付、額面一九万五〇〇〇円)による貸付は、右伊藤に対するものではなく、松下善寿に対するものであつたことが認められるけれども、その後同人において右借金を被告人に完済していることが認められる。なお、原審及び当審における被告人の供述中右と相容れない部分はたやすく措信できない。
この点に関して所論は、右松下善寿の検察官等に対する供述中被告人と山田政喜との間には貸借関係は存しないとの供述部分は原審証人山田政喜の関係供述部分に照らし虚偽であることが明らかであつて、この事実に徴しても右松下の関係供述調書は信憑性に乏しいというのである。しかし、右松下善寿の大蔵事務官及び検察官に対する供述調書等によれば、これらの取調官から示された手形や小切手を個別的に確認しながら被告人との金銭貸借関係につき詳細な供述をなしているものであつて、その核心的部分は古田恵美子の関係供述調書等により認められるところと整合するものであり、その他記録を精査してもその信憑性を阻害すべき具体的事由を見出すことはできないので、右松下善寿の関係供述調書の信憑性を否定すべき理由は存しない。他面、原審証人山田政喜の供述は後記(5)のとおり必ずしも措信できないものであるから、所論の前提そのものが是認できないところである。
そうしてみれば、原判決が松下善寿及び古田恵美子の関係供述調書等を措信し、被告人の伊藤正之に対する貸金債権の貸倒れの事実を認めなかつたことは相当であつて、その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決には所論の如き誤りは発見できない。
(5)(山田政喜関係) 所論によれば、被告人は「山田組」という名称で土木業の下請を行つていた山田政喜に対して昭和四三年五月頃三回に亘り合計六四万円を貸与したものであるが、右「山田組」は同年六月頃に倒産してしまい、山田政喜はその後現在に至るまで右債務の弁済をなしえない状態であるから右貸金債権は昭和四三年度の貸倒れと認められるべきものであるというのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、松下善寿の大蔵事務官に対する質問てん末書(同人作成の答申書添付)及び検察官に対する供述調書並びに古田恵美子の検察官に対する昭和四六年七月七日付及び同月一五日付供述調書等を総合すれば、松下善寿は建設業を営み、昭和四一年頃よりその事業資金等を被告人から借受けていたものであるが、同四二年九月頃及び同四三年三月頃に不渡手形を出して銀行取引を停止されたため、その頃から他人の振出した手形あるいは小切手を差入れて借金することが多くなつていたものであるところ、山田政喜は右松下の事業の現場責任者であつて、所論指摘の山田政喜振出名義の小切手三通(昭和四三年五月一六日一通、同月二八日二通、額面合計六四万円)による貸付は、山田に対するものではなく、松下に対するものであつたことが認められ、その後同四四年末までに右松下より被告人に完済するに至つたことが認められる。
尤も原審証人山田政喜は、右小切手三通による借金は同人自身が「山田組」のためになしたものであつて、松下善寿とは無関係であり、その返済は全くなされていない旨供述するのであるが、右の借受けたという金員の利息やその支払状況等については極めてあいまいな供述をなすものであり、しかも、右供述によれば被告人は倒産直前の山田政喜に対し無担保で貸付を行い、倒産後も債権回収のための努力を払つた形跡がほとんどないというものであつて、被告人の如き金融業者として極めて不自然なことであるばかりでなく、右山田証人の供述記載は松下善寿あるいは古田恵美子の関係供述調書等とも相容れないものであつて、たやすく措信できないものである。
そうしてみれば、原判決が山田政喜に対する貸金債権の貸倒れの事実を否定したことに誤りはなく、記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決には所論の如き誤認を発見することはできない。
以上(1)ないし(5)のとおりであるから、原判決の貸倒損失に関する事実認定は誤りはなく、この点に関する論旨も理由がない。
同控訴趣意第二点(量刑不当)について。
よつて、所論にかんがみ本件記録及び原審取調の証拠のほか当審における事実取調の結果を加えてその犯情を検討するに、
本件は、原判示の如く二五〇〇万円を超える真実の所得の九五パーセント以上を秘匿し、一二五九万一六〇〇円の所得税をほ脱したという脱税事犯であつて、その規模が大きいこと、その動機は不純な利欲に基づく不正な利益の追及にあり、他人の名義を借りて取引や預金を行うなど態様も悪質であること、さらに事犯の発覚後も証拠湮滅や偽造を企てるなど被告人には反省の態度が認められないこと等を併せ考えるときは、原判決の被告人に対する科刑は必ずしも首肯できないものではない。
しかしながら他面、被告人が訴追されたほ脱の本件犯行は昭和四三年度の一年限りのものであつて、本件査察を受けたのちは比較的真面目に所得を申告し納税していることが認められること、被告人は昭和一八年韓国から来日して以来、炭鉱夫、土木人夫、金属回収業等職を変えながら苦労を重ねて蓄財し現在に至つたものであつて、在日韓国人間の信頼も厚かつたところ、本件の発覚により経済的な損失はもとより社会的にも信用を失い、すでに経済的な面では相当の制裁を受けたものであること、被告人には前科がなく、その事業の現況、家庭の事情、その他類似ほ脱事犯との刑の均衡など所論の被告人に利益な諸事情を参酌するときは、原判決の被告人に対する刑の量定は罰金額の点において重きに過ぎ相当でない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法三九七条、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従つてさらに判決する。
原判決の認定せる事実に法律を適用すると、被告人の原判示所為は所得税法二三八条一項に該当するのでその所定の懲役刑と罰金刑とを併科することとし、右刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役六月及び罰金四〇〇万円に処することとし、右罰金を完納することができないときは刑法一八条に則り金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従つて全部被告人の負担とする。
よつて、主文のとおり判決する。
検察官 山中則弘出席
(裁判長裁判官 平田勝雅 裁判官 吉永忠 裁判官 堀内信明)
昭和四九年(う)第五九七号
所得税法違反 被告人 坂本昇こと
尹漢龍
昭和五〇年二月二七日
右弁護人 本多俊之
福岡高等裁判所
刑事第一部 御中
控訴趣意書
第一、事実誤認
原判決には次のとおりの事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、利息金の支払について
原判決は、一審弁護人及び被告人の「被告人が黄斗漢から昭和四〇年八月から昭和四三年六月までの間に、前後八回に亘つて合計金三、八〇〇万円(五三〇〇万円の誤り-弁護人)を借り受け、昭和四三年度中に同人に対しその利息金として合計金一、九三六万円を支払つてお」るという主張を採用しなかつた。
原判決がその根拠としてかゝげる主要なものは第一に黄斗漢の供述は信用できないことゝ、第二に領収証二九通(昭和四七年押第二号の三一ないし五九)はすべて虚偽であるということである。そこで以下この点を検討する。
1 黄斗漢の供述の信用力について
確かに黄斗漢の原審における供述には、原判決が述べるように供述自体に不自然・不合理な面があることは否めない。しかしながらまず同人の供述において注意しなければならないのは、同人が一審の弁護人・検察官・裁判官の尋問の趣旨を理解しないままに供述していると思われる点があることである。それは例えば黄斗漢が韓国へ帰国する迄の利息の支払いに関する供述(記録三三三三丁裏~三三三四丁裏)、利息の変更に関する供述(記録三四二五丁裏~三四二六丁裏)、借用書の作成に関する供述(記録三四三〇丁表~三四三二丁裏)などにおいてである。ところが仮に黄斗漢が被告人から頼まれて事実に反して被告人に有利な供述をしようとしたのであれば、右の借用書の成立に関する供述において債権者たる黄斗漢が債務者たる「坂本昇」の署名をしたなどゝいう不合理な供述をする筈もなく、このことはかえつて黄斗漢がそのような作為的な供述をしていないことを示していると考えられる。これらに加えて、同人は、昭和四四年に帰国して生活環境が一変していること、盲目にもなつて文書などを確認することによつて記憶を呼び戻すことができないこと、明治四〇年六月一六日生れであつて一審における供述当時六六才の年齢であつたことなどを考慮すると同人の供述に不合理・不自然なところがあるのはある程度やむを得ないのであつて、そうだからといつて同人の供述全体についてまで信用できないと判断することは誤りと言わなければならない。このような観点から同人の供述を検討するならば、被告人に五、三〇〇万円を貸しつけたこと、帰国するまでは利息の支払いを受けていたこと、元金については一、五〇〇万円の返済を受けていることなど基本的な事項については整然と述べているのであり、これら事項に関する供述までも前述のような不自然・不合理な面があるからといつて信用できないということにはならない。一審検察官が問題にした(論告要旨一、3)黄斗漢の貸付資力についていえば五、三〇〇万円とは莫大な額ではあるが、しかし同人が被告人に貸付けた利息が月三分ないし四分という高利であつたことにも注目しなければならない。
例えば昭和四〇年八月一日に被告人が借り受けた五〇〇万円に対する利息は、昭和四三年一二月には利息だけで元金を上まわる六一五万円になつていたのである。このように黄斗漢の被告人に対する貸付けは元金に対する利息金が次の貸付金の元金の一部となるという方式によつていたのであつて、利息金とは別に何千万円もの現金があつたということではない。
また黄斗漢が極貧生活をしながら多額の金員を貯蓄したこと、それにもかかわらず肉親を日本に長年月呼び寄せなかつたこと、担保もとらずに多額の貸付を被告人にしたこと、残存債権を残したまゝ帰国していることなどは、朝鮮人の生活感覚、在日朝鮮人の生活感覚、黄斗漢と被告人とは同じ朝鮮人として交流していたことなどの事情をさらに究明する必要があるが、日本人の感覚をもつて不自然・不合理な面があるからといつてただちにその供述が信用できないとはいえないのである。
右に述べたような理由からして原判決が黄斗漢の供述のすべて信用できないとしたことは証拠力の判断を誤つているといわねばならない。
2 「領収証」について
原審判決は「支払利息に関する「領収証」二九通(昭和四七年押第二号の31ないし59)もすべて虚偽のものと認められ」ると何ら理由も示すことなく判示した。一審検察官も同様の主張をなしその主要な根拠として大西芳雄の鑑定書をあげているので、この点について考えてみたい。
大西鑑定書は、右領収証二九枚の各筆跡と黄斗漢発、竹中力夫宛の書類と直方信用金庫預金払戻請求書四枚の各筆跡とは別人の筆跡であることを鑑定しているものであつて、この鑑定結果は何ら右領収証が虚偽であることを示す証拠とはならない。なぜなら黄斗漢は右書輸を自分は書いていないと供述している(記録三四三三丁表~三四三六丁表)のであるから右領収証と右書輸との筆跡が異なるのは当り前であるし、さらに同人は直方信用金庫預金払戻証書に記入されている金額、住所、氏名を自筆で書いたことを認めていないのであるから、両者の筆跡が異つても何ら異とするに足らない。
また右鑑定書は右領収証は「昭和四〇年十二月三十一日から年代順に書記したものではない」ことや「特定の日に全部を書記したものと断定する」ということまで触れているが、被告人自身右領収証は黄斗漢が韓国に帰国するに際して一括して書いたものであることを認めているのであるから、右鑑定書を根拠に領収証二九通にはすべて内容上の虚偽があるとすることは出来ない。
二、貸倒損について
原審判決は、「昭和四三年度中における被告人の伊藤正之、近藤作一、中村政美、山田政喜、横田昭次らに対する貸付金のうち合計金一、七七七万三〇〇〇円が貸倒損となつている」という被告人の主張に対して、「この点に関する検察官採用にかゝる各証拠に徴して、検察官主張のように被告人の前記伊藤正之外四名に対する合計金一、七七七万三〇〇〇円の各金債権は、いずれも昭和四五年度内にその債務者が支払不能となり、これが貸倒損として所得控除すべきものとなつていたとは認められない」と判旨した。しかしながら原審記録によれば次の事実が証拠上認められるので、右原判決の判旨は誤つている。
1 近藤作一の関係
近藤作一は、昭和四二年四月頃に一五〇万円を借り入れ、その後手形・小切手でもつて元金と利息の支払いをなしているが、昭和四三年二月と九月頃には預金不足をきたして不渡り小切手を出しており、その後も数通の小切手が不渡りとなり、昭和四三年末までは一二〇万円から一三〇万円の借入債務が存在していたことを認めている(記録九四二丁~九四五丁)。しかも近藤作一は右残債務の支払いについて、「多額の利息を坂本さんが取つていますから訴訟してはつきりしたいと思います」などと、預金不足で不渡りになつたうえに債務の支払をしないという意思を見せているのであるから右残債務が弁済される可能性はなかつたといえる。まして同人は、被告人が債権の回収をはかろうとしても逃げ回つていた(記録三七七六丁裏)のであるからなおさらである。
2 中村政美の関係
中村政美は、昭和四三年の初め頃に資本金二〇〇万円の大興建設株式会社を設立して造成事業をはじめたのであるが、同会社は同年五月には右事業が成り立たなくなり、三〇〇万円前後の負債をかかえたまま倒産している。同会社の代表取締役たる中村政美は同人の信用で被告人から金四〇万円の借入をしているが、小規模の企業ではあるゆえ代表取締役たる中村政美が被告人に対する債務は個人的に責任をもつて支払うことにはなつていたものの、中村政美は他にも同人の信用で借り入れていた債務が一〇〇万円程あつたがために未だに被告人に前記債務を弁済し得ないでいる。この債務については、保証人もつかず担保も設定されていなかつた(記録二七二五丁~二七五九丁)から、弁済される可能性はなかつたといえる。
一審検察官はこの中村政美の被告人に対する債務については、古田恵美子と被告人の供述調書を根拠にして、その後現実に弁済されておるという。確かに古田恵美子はその旨の供述をなしている(記録二四七五丁裏~二四七七丁裏)が、同人が金融業者であつた被告人の多数の者に対する貸付やその弁済の状況等についてどれほど正確に知りえていたか疑問であるばかりか、古田恵美子の「四五年初頃か四四年頃に現金で決済されて全部入金されております」という供述も帳簿上の根拠があつて述べられているものでもない。
また一審検察官は右の古田恵美子の供述調書の他に被告人の供述調書を債務弁済の証拠としてあげる。これは昭和四六年七月一四日付の被告人の検察官に対する供述調書においては貸倒損の関係全般について供述しているにもかかわらず中村政美に対する貸倒損のことが何ら述べられていないことをさしているものと推測されるが、それは誤りである。なぜなら右供述調書の供述は、被告人が検察官から「坂本昇こと伊漢龍の貸付金及び利息一覧表」を示されてそれに逐一答えているものであり、被告人の供述に際しての関心は右の一覧表に集中していたのであつて、右一覧表に記載のない中村政美の分については関心が向かずそのことに気づいていなかつたからである。
3 横田昭次の関係
横田ヤチヨに対する貸金について同人は、二、〇〇〇万円被告人から借り、黒崎の家と土地を抵当に入れていたが、被告人は二番抵当権者で、一番抵当権者は九州相互銀行であつたところ、同銀行に対する債務は本件事件が発生した頃には未だ一、八五〇万円残存していたことを認めている。
一審検察官は抵当物件の家と土地は七、〇〇〇万円を超える価値があり被告人に対する債務も右抵当物件が競売されることによつて十分回収される旨主張される。しかしながら、横田ヤチヨの土地の時価について述べる供述にどの程度の信用力があるかは疑問であるばかりでなく(ちなみに同人の供述は昭和四七年一〇月二三日になされている)競落価額は時価より相当低く、まして更地でない居住の建物が存在している土地ともなれば競落されることが困難かそうでないにしても一層低価となることは明らかである(横田ヤチヨも銀行が右競売の困難性を指摘していることをみとめている)。まして、横田ヤチヨは被告人に対して利息制限法を超える利息の支払い分の元本充当を主張して元本の存在を争う民事訴訟を提訴しているとのことである(二八〇〇丁裏~二八〇一丁表)から、右債務の弁済は困難であつたといわねばならない。
4 伊藤正之の関係
伊藤正之に対する貸倒については松下善寿がこれを否定する供述をしている(記録一四七五丁裏~一四七六丁表)が、同人は山田政喜に対する貸倒については債務の成立そのものを否定する供述をしている(記録一四七三丁裏~一四七四丁表)が、山田政喜は自己に不利益な貸倒を認める供述をしているのであるから、この点に関する松下善寿の供述には信用性がないと考えられる。